●Beatles
ビートルズ好きの人たちが、ジョン派だ、ポール派だ、という風に意見を戦わせている場面を、よく見る。
多くの場合、ジョン・レノン派の意見が優勢で、多数を占める。
全くどうでもいい、と思う。
彼ら二人がいるからこそのビートルズであり、四人だからこそのビートルズなのだ。
だれが欠けても魅力はない。
彼らの意見では、特に解散後の活動について、ジョン・レノンが一歩リードしているようだ。
多くの人の記憶に残っている曲の多さ、という平凡な観点で考えてみても、他のメンバーとは比較にならないくらいの、いわゆる「名曲」を残しているし、シーンにおけるその存在感も比較にならないだろう。極めつけとしての劇的な死もすらも・・・。
私にしても、もちろん「Love」や「Happy X'mas」、「Starting Over」、「Jerous guy」、「Woman」などは大好きだ。
しかしやはり、ビートルズなのだ。
ポールにせよジョンにせよ、ソロになってからは自分の好きなようにやりたいことをやっていたと思う。
彼らには全てが許されていたはずだ。
もちろんビートルズというバンド自体が、ポップス史上で唯一、全てを許されたバンドだった。
しかしバンドの内部に目を向ければ、強力な個性を持った互いが、激しい「異物」として相対していたはずなのだ。
それはある種の「鏡」のように機能しただろう。互いを映し出し、時には自分に自信を失わせたり、時には自分の立ち位置を確認させたりするような、「鏡」としてての機能を。
これがソロになってしまったらどうだろう?
全てが許されている彼らは、それこそ何の躊躇もなく自分の道を突き進むことが出来る。自らの姿を映し出され、異物と相対する必要も機会もない。
どうだろう。私はやはり、互いを鏡として写しあっていた時の緊張感から生まれ出たものを買いたい、と思う。
ビートルズのマジックとはまさにそこであったのではないか?
さらに付け加えたいこととして、ジョンとポールは、しばしば一緒に歌った。
その後の特に白人ポピュラーヴォーカルにおいて、どちらかのスタイルでなければありえなくなった、といえるほどの全く正反対の圧倒的なスタイリスト二人を擁していたバンド、ビートルズ。
これほど贅沢なデュエットが他で聴けるのか?
「Don't Let Me Down」を聴いてもらいたい。良く知っている曲だろうが、この曲のサビで二人が単純で力強い旋律をハーモニーする様は、あまりに狂おしいではないか。
「Hey Jude」、さらによく知っている曲だろう。ポールの主旋律に対して、しばしばジョンは下のハモリをあてがう。その素晴らしい温かみ。二人で歌われる「Better」という言葉が生み出す圧倒的な広がり。
これらに比べ、おのおののソロはやはりどこか寒々しい。
彼らが夢見ていた「自由」、自由に自分のやりたいことをやる、それはそれでいいかもしれない。
しかし表現として「自由」を表現しているのは、ビートルズなのだ。
そしてそれがポップスなのだ。