top of page

●武満徹

 

 武満徹は成功した作曲家だ。


 他に国内的にも国際的にも成功した日本のクラシック・現代音楽分野の作曲家の例はいくらかは挙げられるとは思うが、彼と比べることはやはり出来ないと感じてしまう。

 現在の現代音楽は隅々まで様式化が進んでしまった。
 現代音楽が本当にホットだったのは、長めに見ても1980年くらいまでだろう。おそらくピークは1970年だ(これはロックやジャズなどの他ジャンル、また文学、思想など、様々な分野で見られる現象である)。
 その後の現代音楽は完全に様式化が進んでしまったので、新しい探究は限られるものになっていった。

 ただ様式化されたとはいえ、この音楽が極めて書くのが難しいジャンルであることは間違いない。相応の才能と努力、知性、忍耐力が必要である。
 だが様式というものは、それがある程度定まった段階で何かを失ってしまう。
 様式とは自転車のように前に進んでいる時、作られつつある時のみに生きている、というより意味を持つ。止まってしまった時点でそれはもう骸であり、真にクリエイティヴな意味はなくなり、学習対象になってしまう。

 例を挙げれば、バッハや古典は、既に完全に様式化され、どのように書けばいいのかは全て明らかになっている。

 もちろん書くためにはやはり相応の才能や研鑽を積む必要はあるのだが、それでも誰が彼らのように古典を書けるだろうか。

 誰がリアリズムを伴って古典のカデンツを美しく使えるのか。
 この例は様式というものの性質を端的に表しているように思う。
 同じことがジャズの世界でも起こっている。バップが様式化されたとして、誰がチャーリー・パーカーのように吹けるのだろうか。

 誰がそれが様式化される前のホットな形で今バップを吹けるんだろうか。


 誤解を恐れずに言えば、武満が存在感を放った50〜70年代における、現代音楽そのものの存在感、他芸術との相互連携の豊かさ、それを書くことのチャレンジングさや困難さ、そしてその様式を紡ぐことの作曲家達からと時代からの両面からの熱と噴き上がり、そういったものは、現在とは全く比較ができない。
 彼はそうした中で、世界の武満、とも言われるような存在感を放ったのだ。自らの言語、様式が、彼自身と時代の両方に応える形で。
 そんなもの、その後の誰と比較できるのだろうか。
 


 変わって、下世話な話なのかもしれないが、クラシック音楽界隈の音楽家で全く教えることなく食える人間というのは、どれくらいいるのだろうか。
 オーケストラから給料をもらっているプロオケの団員や、一握りの人気演奏家、指揮者、そのくらいではないだろうか(彼らにしてもその大部分は、より稼ぐために教えている)。
 そもそも、クラシック音楽の世界そのものがスポンサーや助成を受けずに、自立的に採算が取れる分野ではないのは、多くの人が知るところだろう。
 ましてや、クラシックの世界の鬼子の如きの現代音楽の世界では、それが顕著である。経済的自立など想像もつかない。

 

 武満は映画の劇伴をよく作ったし、またその才能も非常にあった。彼自身が年間何百と観るほどの映画好きであったのも無関係ではないのだろう。
 夥しい量の世界中からの委嘱、それとともに劇伴をよく作ったことで、彼は教えることなく飯が食えた。
 そのことに下世話な意味以上の何かがあると思うのは私だけなのだろうか。
 彼は大学とかそういうアカデミズムに自分を所属させたことがなかった。学生としても教師としても。
 ある意味そういうものを憎んでさえいたとも思うし、そういう場所に自分を浸してしまえば、作曲家として、芸術家として大きく何かが失われることを感じていたのだと思う。
 アカデミズムにすがる、アカデミズムに護られる、アカデミズムに取り込まれる、こういうことを避けるのは、本来芸術には最も必要な態度であるはずなのだが、特に現代音楽のような食えない世界ほど、この構造が強くなっていってしまう。

 

 武満に対する批判としてあるのは、彼があまりにも上手く自分自身をプロデュースし、非常に時代性に合致した、神秘的なアーティストイメージを作りあげ、それは音楽的な本質とは無関係で、ややあざとく安っぽいものであった、というようなものだ。
 また彼の音楽のある意味での素人っぽさがそれをさらに後押しした。
 非常に誰でも作れそうな音楽だからだ。彼の音楽は。

 


 また少し脱線する。私と武満の出会いは、母親によってもたらされた。
 私の母親は、基本的に海外文学への志向が強く、そこから大江、谷川、安部公房、武満あたりの、彼女の若い頃に盛り上がってきた同世代の芸術家たちへの強いシンパシーを持っていた。
 そして彼女はある時、ハードロックに夢中だった少年の私に、それらを提示した。その時に聴いていたメタリカやガンズアンドローゼスのようなシリアスな表現に対して、シリアスな表現というのはもっと別の形、もっと厳しい形であり得るんだ、という風に。
 母親の影響で大江をかなり読んでいた17歳の私にとっては、その話は印象には残ったが、当たり前のことだが、そこからハードロック少年の私がすぐに武満を聴き始める、ということにはならなかった。そりゃそうだ。

 

 しかしそこから私が、ハードロックからブルースロック、ロックンロール、ブルース、R&B、ソウル、ジャズ、そしてクラシックと順を追って、割に短期間に音楽を変遷していった中で、徐々に、しかし確実に武満はしっかりとその存在感を表してきた。

 

 初めに聴いたのは、弦楽のためのレクイエムだった。
 マーラーがなどの後期ロマン派が好きになってそれらに骨抜きになっていた私には、初めてに近い形で聴いた現代音楽としては、充分感動できつつ、また適度に小難しいという、バランスのいいものだったように思う。
 同じCDに入っていたアークや、地平線のドーリアなどは、普通に旋律や和声を追っかけて聴くその当時の私にとっては、何か触れられない、寄せ付けてもらえない厳しさのようなものを感じた。
 レクイエムも最初はややそういう部分があったのだが、旋律や和声の流れを覚えてしまうまで聴いてしまえば、次第に普通に感動して聴くような音楽になっていった。

 まあ言ってみれば彼の音楽にはそういう側面がある。感動を拠り所にすることを許すような音楽。

 そこから現代音楽を書くようになっていき、ずっと武満を聴いていくと、そのレクイエムの印象というのは、殆どの曲に対して感じられるようなものであることも分かってきた(先のドーリアはやや例外な気もするが)。
 だがもちろんその当時よく聴いていてそれなりに近いものに思われたクラシックの緩徐楽章などと同じ感じで感動する訳ではなく、何か少し違う独特な感じの感動であることにも徐々に気付いていった。

 それは、彼の音楽は旋律が非常に重要な要素でありながら、あまり展開していかない、ということだ。
 たぶん、彼の音楽において、それは非常に重要な部分なのかもしれない。

 誤解を恐れずに言えば、彼には旋律を展開させきって落とし前をつける技術はおそらくないのだが、音楽を作る上では旋律的なものから発想することが彼にとって最も容易であり、本質的なことだということだ。
 というよりは、旋律から音楽を発想するのは、誰にとっても一番容易なのだ。


 試しになんでもいいから適当に鼻歌を歌ってみてほしい。誰にだってできるのだ。
 それの質の違いを云々することはできるが、それはただそれだけのことだ。鼻歌を歌って一定の時間横に流れる一つの形を産む、これは多くの人が特にできないということはない。旋律からの作曲は誰でもできるのだ。
 例えばショパンのノクターンの2番みたいな曲というのは、あくまでもその延長線上にある、素晴らしい例なのだ。

 

 だが試しに例えば、同じピアノ曲で、ドビュッシーの前奏曲集第2巻の1曲目「霧」などを見てみよう。どうだろう、これをそういう風に作ることができるだろうか。
 ここには旋律がない。旋律がないのだから対位法もない。旋律がないのだから伴奏もない。和音はあるが和声はない。明確な調性もないが無調でもない。ついでにもっと言えば汎用的な形式もないし、楽節構造も希薄だし、リズム的な統一感はあっという間に失われるし、何より分かりやすいような感情の発露などがない。
 ここにあるのはテクスチュアと音響の推移のみなのだ。そのイメージで曲を作っているのだ。
 もっと有名な例で言えば、子供の領分のグラドゥス・アド・パルナッスム博士はもう少し緩やかな形でやはり旋律に依らず音楽を作っている。

 こういう作曲は旋律から作るような作曲よりも、格段に難しい。とは言え素晴らしい旋律をつくるのも大変難しいだろ、と言われるかもしれないが質の話はやはり一度置こう。
 たぶん曲を作ったことがある人だったら誰でも分かるだろうと思うし、例え作曲の経験がない人でも想像して欲しい。鼻歌を歌ってある一つのまとまりを作れそうでも、音のテクスチュアや音響を発想してそれを横に流してみろ、というのは難しいように感じるどころか想像すらできないんではないだろうか。
 もちろんこの話が音楽の質につながる話だという訳ではない。旋律から作っているから一段低い音楽だ、ということはない。だったらショパンは非常に評価の低い作曲家になってしまう。そんな訳がない。

 


 話を武満に戻すと、音楽教育を受けてこなかった彼にとって、旋律から作る作曲は最も入りやすいもので、逆にいえばそこが生命線だった。
 だが彼にはそれを展開する技術はやはりなかったが、幸運なことに旋律を展開させるような何かを、時代が特に望んでいなかったというのもあった。

 そういう中で彼が推し進めたのは、形を変えずに繰り返されることに耐える旋律、西洋的な韻律や拍節感でも日本の頭重心という訳でもなく、無調ではあるが幾分調的でもある全く独自の旋律、を作り続け、練磨していくことだった。
 そしてそれを一つの待避所として、音楽を作り進めていく時の担保にした。音楽の変化は、そこからの距離を測りながらの、いつでも戻れる形での冒険で済んだ。これを様式化し、やはり錬磨していった。
 ドビュッシーの話を再び出すなら、牧神の午後への前奏曲は、おそらく結果的にだが、全く同じようなアイデアの曲であり、彼の生涯の範になったのだろうと推測される(「ファンタズマ・カントス」では自ら「牧神」を意識して作ったと言っている)。
 意外とああいう曲は存在せず、牧神があるかないかで、武満はだいぶ違ったのではないか。
 
 そうしてある意味で歪な、旋律を不思議に繰り返しながら音響を変えて漂う、悪い意味で言えば稚拙な、だがしかし意外と世の中には存在しない変な音楽が出来上がっていく。
 この作り方であれば、当たり前だが、オーケストレーションや音色、音響などに技術が過度に傾斜していったのも頷ける。
 同じ旋律を繰り返すのをどう彩るかは彼のまさしく生命線にならざるを得なかっただろう。
 映画の劇伴を作っていたことはここで非常に生きた。様々な音響的な実験ができたのだ。そうして彼のオーケストレーションの技術はどんどん錬磨され、それもある種の様式を形成するまでになり、「タケミツ・トーン」と呼ばれるようにもなった。

 

 また彼の旋律を補強したのは、オーケストレーションや音響だけではない。彼の言葉だ。
 彼の言葉の能力というものに触れずに武満を語るのは片手落ちどころではない。

 彼はともすれば稚拙に見えがちな旋律を繰り返す音楽を、「庭園を散歩する」など、ある意味もっともらしい、しかし美しくて喚起力のある言葉で修飾し、その弱みを覆い隠した。
 武満の音楽の受け取り手はどちらかというといわゆる現代音楽の聴衆というより、これは時代性なのだがアート側の人達が多かったようにも思う。
 彼らはそのような言葉とのある意味でのコラボレーションを好意的に受け止めた。なぜならばまさにアート側がいち早くそういう形で作品を修飾するというか、むしろただの便器を「泉」というくらい(マルセル・デュシャン)のことをしていたからだ。
 ここで先ほどの、当時は現代音楽が他芸術と横断していた、というのが非常に生きているのだ。
 ちなみに今では正直これは考えられない。今アート側と横断できている音楽は、アンビエントを始めとする、クラブミュージックの洗礼を受けたエレクトロニクス・ミュージックなどだ。
 現代音楽の世界はほぼそれのみで完全に閉じている。

 ある意味こういう武満のやり方は、詐欺っぽい所もあるし、怪しいところがない訳でもない。
 ただそういうのがないファインアートみたいなものって、恐らくやや寒々しいのではないだろうか。というよりも、もうすでにデュシャンの「泉」が存在している以降の時代性から離れすぎていないか。
 こういうことがアカデミズムから彼が距離を置き、彼が教えないで食っていたことの意味の一つじゃないのだろうか。

 


 最後に、武満と自分のことを話すと、私は武満を愛している。他人事とは思えないような作曲家なのに、同時に絶望的に届かない憧れであり続けている。


 で、これは恥ずかしいような言い方だが、私は若い頃から武満がとにかくカッコよかった。カッコ良くて憧れてて、写真を飾ってしまうようなくらいだ。ちなみに今でも。

 で、そんな現代音楽家って他にこれまでどれくらいいただろうか。
 こんな下らない言説でこの文章を締めるのは、いささかどうかとも思うが、ここにもなにかしらの真実はある。

 

 彼は成功したクラシック・現代音楽の作曲家だ。
 そしてそれはそのシーンが形骸化し、力を失った今では、もう不可能なのだと思う。

 ロックにおけるビートルズは二度と現れないし、ジャズにおけるマイルス・デイヴィスは二度と現れない。そして現代音楽の世界にもブーレーズやリゲティは二度と現れないのだ。


 武満はそういう一人なのだ。そういう日本人だったのだ。

bottom of page